本日は昨日9日の続きでございます。昨日は最後の方でグダグダになってしまい申し訳ございませんでした。本日はしっかりタイトルに準じやってゆきましょう♫
昨日は愛犬の介護な日常について思い出たくさんでお伝えしました。
今日はタイトルに準じ「亡くなった愛犬の夢を見たよ」の話です。
では本日の内容です。
愛犬亡くなる前の様子
ではどんな愛犬の夢を見たのかといえば、やはり悲しいかな丁度、愛犬が亡くなったところでした。
愛犬は15年前の6月4日に亡くなりました。本当大型犬にしては長生きをしてくれて約17年ほど私たち夫婦と生活を共にしてくれました。
おかしいなぁ〜今日はウルウル来ないなぁ〜
そんな愛犬の最期の方は約1年半ほど介護状態が続き、亡くなる1ヶ月ほど前にはすでに口からご飯を食べることはできませんでした。
私たち夫婦は悩みましたがそれでも一抹の望みのかけ、点滴での栄養を摂取を選択しました。愛犬の前足に点滴の針を入れるわけですが最期の方は針を入れる痛みで点滴を拒んでいた様子が思い出されます。
だめだ!やっぱりウルウル来てます。亡くなる前日くらいの愛犬の画像は私のスマートフォンのデータとして残っております。ただ、見るとあの当時のことを思い出してしますのであまり見ることはありませんが・・・
そんな介護も虚しく、「諸行無常」
6月4日に愛犬は旅立ちました。私は仕事でその場におりませんでしたが、1番愛犬を愛でていた奥さんの胸の中で亡くなったということが救いでした。
子供のいない私たち夫婦にとって愛犬は本当、家族、まさしく子供のような存在でした。そんな愛犬に奥さんは献身的に愛情を注いでおりました。愛犬がトイレに行き易いように真冬、愛犬が通れるようにドアの隙間を開けていたことを思い出します。
私も愛犬が点滴での栄養摂取になった時、自分にできないことはないのかと感じ愛犬が亡くなるまで禁酒していました。
また愛犬が13歳くらいの時にがん摘出の手術をした際も愛犬を思い願掛けで「禁煙」をしました。このおかげで今も禁煙しております。
本当に愛犬は私たち夫婦の生活の一部になっていました。その大切な愛犬が亡くなった悲しみは今でも消えることがありません。
夢でもし会えたら・・・
今までも何回も愛犬が亡くなった夢は見ております。その度、夢の中で大きな声をあげて私は泣いています。
本来は楽しく元気に遊ぶ愛犬と戯れていたことを夢で思い出したいのですが必ず悲しく亡くなってしまった様子が夢に出てきます。
なんででしょうか。やはり亡くなってしまったことが愛犬とのつながりの中で1番インパクトが大きかったのか。
できれば元気な愛犬と楽しく近所を散歩しているような夢を見たいものです。亡くなったことは悲しいのですが散歩をしていた時のなんとも言えない可愛い様子と一度夢で見たいものです。
まとめ
愛犬との付き合いは家に突然にやってきた時から亡くなるまでの期間は約17年となります。さらに今年は亡くなってから既に15年。合計すると32年です。私の人生の半分以上の期間です。
この期間に本当に大切な思い出を残してくれました。私たちの心の目でしか見ることのできない大切なものを・・・
生きることの意味って難しいのですが、私は愛犬からひとつ教わりました。自分が関わる全てのことから、いかに自分が大切だと感じる思い出を作ることではないのでしょうか。
それが、人それぞれ違うわけです。ただ唯一共通しているのはその人にとって
「大切であること」
そんな「大切であること」を見つける宝探しが人生というものではないのでしょうか。
皆さんはいかがでしょうか? 本日は画像なしの真面目バージョンです。たまにはこんなのもお許しくださいませ。
ではまた次回へ
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